戦時中チェコのテレジン収容所で55回も上演され、人々の希望の光となった「ブルンジバール」。
2000年日本初演を果たしたボニ・プエリが、その後も歌いつぎ、伝え続けています。
今こそ背景を知っていただきたい、平和への願いを込めて…。
このオペラは、プラハで活躍し、ユダヤ人ということだけで1942年テレジンの収容所
に送られ、その後アウシュビッツで非業の死を遂げた作曲家ハンス・クラーサの作品です。『ブルンジバール』は彼が拘束される前、自由な身であった時の最後の作品で、収容所内でなんと55回も上演されたといいます。2000年12月、チェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”による日本初演は、歴史的背景を越えて、勧善懲悪のストーリーと純粋で美しい音楽、高い芸術的水準のメルヘンオペラとして多くの感動を呼びました。またチェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”の演技力がさらにその作品を際立たせるものとなりました。その後の来日公演においても、学校やコンサートホールにおいて度々上演し、その背景についても伝え続けてきました。またこれは日本での上演のみならずチェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”のレパートリーとなり、チェコ国内、海外においても数多く上演されています。
今回はその音楽の素晴らしさと背景を知っていただくことで、平和の尊さ、音楽の素晴らしさを多くの方に知っていただきたいことから、コンサート形式とレクチャーによって構成しています。
*チェコ・プラハの郊外にある第二次大戦中の収容所
ペピーチェクとアニンカ兄妹のお母さんは、病気で寝込んでいました。医者からはミルクを飲んで栄養をつけるようにといわれますが、ミルクを買うお金がありません。手回しオルガン弾き「ブルンジバール」をみて、二人は歌ってお金を稼ぐことを思いつきます。しかし、広場で歌いはじめると警官や意地の悪い「ブルンジバール」に追い返されてしまいます。途方に暮れる二人はベンチで寝込んでしまいます。
そこへ犬、猫、雀がやってきて手助けをしようといいます。翌朝、近所の子どもたちにも応援を求め、みんなで子守歌を歌い、感動した通行人からお金を得ることができました。ブルンジバールにお金を取られそうになりますが、すぐに彼は捕まえられ、子どもたちは勝利の歌を歌います。
1987年以来「チェコ少年合唱団“ボニ・プエリ”」の合唱指導者を務め、1991年よりこの合唱団の指揮者に就任。1996年からは単身でこの合唱団の指導・指揮にあたっている。これまでに合唱団と共に国内はもとよりアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、日本等への演奏旅行を行い、大変高い評価を受けた。
また彼は、指揮者として精力的に活躍し、作曲家やその作品についての研究も行っている。さらにカレル大学博士号を取得し、カレル大学、フラデツ・クラロヴェ大学にて教鞭もとっている。