チェコ少年合唱団「ボニ・プエリ」:子どもたちのオペラ「ブルンジバール」

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素晴らしく楽しいステージの裏に、悲しい歴史のメッセージがあった。
よみがえる希望の光、感動の舞台を未来の子供たちへ!

子どもたちのオペラ「ブルンジバール」は、2010年12月5日三田市総合文化センター郷の音ホール(兵庫県)と、12月18日杜のホールはしもと(神奈川県相模原市)で実施されます。


子どもたちのオペラ「ブルンジバール」
ハンス・クラーサ作曲
カレル・ブロシェク演出

プラハで活躍し、ユダヤ人ということで1942年テレジン収容所(※)に送られ、非業の死を遂げた作曲家ハンス・クラーサの作品。この『ブルンジバール』は収容所内で55回も上演されました。死を宣告されながら、この美しいオペラを演じることで悪と戦い、生きる力となった。2000年12月の日本初演は、歴史的背景を越えて、勧善懲悪のストーリーと純粋で美しい音楽、高い芸術的水準のメルヘンオペラとして多くの感動を呼びました。チェコ少年合唱団「ボニ・プエリ」の演技力、歌唱力もさらにその作品を際立たせるものとなりました。

※チェコ、プラハの郊外にある、ナチスドイツが芸術家を中心に集め、宣伝に利用された特別な収容所


子どもたちのオペラ「ブルンジバール」STORY

ペピーチェクとアニンカ兄妹のお母さんは、病気で寝込んでいました。医者からはミルクを飲んで栄養をつけるようにといわれますが、ミルクを買うお金がありません。手回しオルガン弾き「ブルンジバール」をみて、二人は歌ってお金を稼ぐことを思いつきます。しかし、広場で歌いはじめると警官や意地の悪い「ブルンジバール」に追い返されてしまいます。途方に暮れるに兄妹に動物たちがやってきて手助けをしようといいます。近所の子どもたちにも応援を求め、みんなで子守歌を歌い、感動した通行人からお金を得ることができました。「ブルンジバール」にお金を取られそうになりますが、すぐに彼は捕まえられ、子どもたちは勝利の歌を歌います。


テレジンとは

第二次大戦中、チェコの首都、プラハ郊外の古い要塞都市、テレジンには、ユダヤ人特別収容所がつくられた。テレジンは、アウシュビッツなどの、絶滅収容所の中継地点であり、ドイツ、オーストリア、チェコなどから、多くの芸術家や子供たちが集められた点で、特殊であった。芸術家の中には、後のチェコ・フィル芸術監督となった、指揮者のカレル・アンチェルや、ウィーン・フィルの副コンサートマスター、生きていれば20世紀の音楽史に名を残したであろう若き作曲家・ピアニスト、ギデオン・クラインなどが含まれていた。

人々は収容所内でも、こっそりと、合唱や劇、室内楽などのコンサートや詩の朗読会等の文化活動を行っていた。ナチスは当初これらを禁じていたが、やがて、国際赤十字連盟の視察等、国際世論からの、ユダヤ人虐待へのカモフラージュに利用されることとなった。子どもたちのオペラ「ブルンジバール」もこうして、収容所内で55回も上演されることとなった。歌う子ども達の姿は「総統はユダヤ人に街を与えた」といったプロパガンダ映画に記されている。しかし、映画撮影のために美化された町並み、きちんと装い、栄養のある食事をとり、談笑する人々、無心に遊ぶ子ども達の姿は、全て宣伝用につくられた虚構で、現実には、病気、飢え、連日の死者を焼く焼却所、子供たちにまで課せられた長時間の強制労働、そして東[アウシュビッツ]への移送の恐怖というのが収容所の日常であった。

しかしこのような中でも、人々は芸術活動に喜びを見出し、生きる支えとした。音楽以外にも、密かに様々な活動がおこなわれていた。子供たち自身によって監視の目をかいくぐって発行された雑誌「VEDEM」(チェコ語で“僕達は導く”の意味)。子供たちは訳もわからずに、突然いままでの生活や家族から引き離され、テレジンに輸送され、恐怖、絶望、その他さまざまな矛盾を感じつつ、彼等は自分達の自治会をつくり、雑誌を出しつづけた。その中には感性豊かな詩、社会や大人たちを風刺したするどい批評、夢にあふれた創作や子供らしいスポーツ中継、漫画や挿絵など、子ども達の生きることへの希望がぎっしり詰まっていたという。また大人たちは子供たちに、絵画、勉強などを教え、あすへの希望を与えたのだった。その後子供たちはほとんどがアウシュビッツに送られ、殺されたのだった。